「減量」と「ダイエット」の違い

 昨今のスポーツ業界において、世界的に活躍する日本人選手が増えていることは、皆さんも実感しているところかと思います。ボクシングも同様に、昨晩は井上拓真選手対那須川天心選手という豪華な世界タイトル戦が行われ、私も元プロボクサーとして楽しく視聴していました。期待通りのハイレベルな攻防で、12ラウンドが一瞬で過ぎていきましたね。日本人同士の世界タイトル戦が珍しくなくなったのも、トレーニングや栄養管理が科学的根拠に基づいて行われ、日本ボクシング界全体の実力が向上している証左でしょう。

 さて、ボクシングといえば、階級制の中でも特に「厳しい減量」をイメージされる方が多いかと思います。『あしたのジョー』をはじめとするボクシング漫画などの過激な描写により、そのイメージが定着したのかもしれません。しかし、現代のボクサーの減量事情は、昭和から令和へと時代が移り変わり、厳しさに変わりはないものの、より科学的に高度化しています。本日は、私の経験も振り返りながら、プロが行う「減量」と、一般の方が目指すべき「ダイエット」の決定的な違いについてお話ししたいと思います。

「数字」を作る減量 「健康」を創るダイエット

 そもそも「減量」の目的は、計量日という一定の期限までに、「体重」を契約した規定の数値まで落とすことです。したがって、落とす対象は脂肪だけではありません。体内の水分、エネルギー源であるグリコーゲン、時にはトレーニングで身につけた筋肉さえも削ぎ落とします。これは試合出場権を得るための儀式であり、健康を一時的に犠牲にして「数字」を作る作業です。

 一方で、皆さんが目指す一般的な「ダイエット」の目的は、健康的で美しい体組織を作ることです。落とすべき対象は主に「体脂肪」であり、長期的かつ恒久的な生活習慣として継続していけるものでなければなりません。

 この二つは、似て非なるものです。その違いを、科学的な数字とともに見ていきましょう。

サウナで脂肪は燃えない? 短期間で落ちる体重のカラクリ

 現役時代の私もそうでしたが、ボクサーは試合直前の数日で数キロ体重を落とすことがあります。「そんなにすぐに脂肪が燃えるのか?」と驚かれることがありますが、実はこの時、脂肪はほとんど減っていません。減っているのは「水分」と「グリコーゲン(糖質)」です。

 科学的なデータとして、筋肉や肝臓に蓄えられるエネルギー源「グリコーゲン」は、その質量の約3倍から4倍の水分と結びついて体内に貯蔵されていることが分かっています。つまり、「グリコーゲン1g ≒ 水分3g」というセットで存在しているのです。

 過酷な食事制限と練習で体内のグリコーゲン(成人男性で約400g〜500g)を使い切ると、それと結合していた水分(約1.5kg〜2kg)も一緒に体から抜けていきます。これだけで、脂肪が1gも減っていなくても、計算上2kg以上の体重がストンと落ちます。

 私も現役時代、計量直前はガムを噛んで唾を吐き、最後の一滴まで水分を絞り出していました。喉が渇きすぎて、うがいをした水さえ飲み込みたくなる誘惑と戦ったものです。しかし、あれは脂肪を燃やしていたのではなく、体を干からびさせていただけなのです。

 計量が終われば、水分と食事を摂ります。すると、グリコーゲンと水分が再び結びつき、翌日には5キロ以上の体重を戻している選手は珍しくありません。これがボクサーの減量のカラクリです。したがって、サウナスーツを着て汗をかき、一時的に体重が減ったとしても、水を飲めば戻るのは当たり前のことなのです。

脂肪1kg=フルマラソン3回分? 「7,200kcal」の壁

 では、本当の意味でのダイエット、つまり「体脂肪」を落とすにはどうすればよいのでしょうか。ここで重要になる数字が「7,200kcal」です。

 体脂肪を1kg減らすためには、約7,200kcal分のエネルギーを消費する必要があります。これがどれくらい大変な数字かというと、フルマラソン(42.195km)を完走して消費できるカロリーが約2,500kcalと言われています。つまり、脂肪1kgを燃焼させるだけで、フルマラソン約3回分の運動量が必要になる計算です。

 こう考えると、「飲むだけで1週間でマイナス10kg」といった広告がいかに科学的にあり得ないか、お分かりいただけると思います。脂肪を減らす近道はありません。地道な食事管理と適度な運動で、1日あたり240kcal(おにぎり1個分強)のマイナスを作ったとしても、脂肪1kgを落とすには1ヶ月(30日)かかります。しかし、これこそがリバウンドしにくい、本物のダイエットのペースなのです。

体重計の数値よりも「中身」を。一生続けられる体づくり

 ボクサーの減量を真似して、水分を制限したり過度な食事制限をしたりすることは、一般の方にはおすすめしません。体重のわずか2%の水分を失うだけで、競技パフォーマンスや判断力は低下し始めると言われています。さらに脱水が進めば、熱中症や循環器系へのリスクも高まります。健康のためにダイエットをしているのに、健康を害しては本末転倒です。

 私も今は、現役時代の「減量期」のような生活ではなく、継続して生活できるようなバランスの良い食事と適度な運動を心がけています。※お酒を飲むようになって、明らかに肉付きが良くなりましたが。

 ボクサーが命がけで行う「減量」の技術は、計量をパスするための特殊なものです。皆さんが目指すべきは、一時的な体重の減少ではなく、一生付き合っていける健康的な体づくりです。体重計の数値に一喜一憂せず、7,200kcalという数字を頭の片隅に置きながら、焦らず着実に、理想の体を目指していきましょう。