未来への責任ある政治とは

その場しのぎでは国民を守れない

今般の衆院選において、多くの政党が公約として消費税減税を掲げている。ここ南アルプス市においても、長引く物価高が市民生活を直撃していることは、日々の対話の中で痛いほど肌で感じている。農家の肥料代の高騰、中小企業の資材コスト増、そして家計の逼迫。その苦しみを知るからこそ、政治が手を差し伸べるべきだという声には真摯に向き合わねばならない。しかし、自民党所属議員として、またかつて内閣官房長官秘書として国政の中枢で決断の重みを見てきた人間として、私はこの安易な減税やバラマキの潮流に警鐘を鳴らさざるを得ない。

増税にせよ減税にせよ、それは国家運営の手段であって目的ではない。物価高対策との論説が尽きないが、その場しのぎの対策は、果たして本当に国民の未来を守ることになるのだろうか。責任政党・自由民主党が、野党と同じ土俵に乗って聞こえの良いバラマキ合戦に興じてしまえば、この国の財政規律と未来は誰が守るのか。真に国民の福祉向上を目指す政治が、国家の骨格を揺るがす安易な迎合で実現されるとは、到底思えない。

緊縮財政論の誤謬

党内外には、これまでの財政運営を「緊縮財政」と定義し、政策転換を図る声がある。この主張の根拠として名目歳出額の比較が用いられることがあるが、ここで数字の正確な読み方が重要になる。

確かに一般会計当初予算の歳出総額は、バブル絶頂期の1990年度で約66兆円、2025年度には約115兆円と名目値では増加している。ただし、積極財政論者が緊縮と呼ぶのは名目値の増減ではなく、名目GDPに対する政府支出の比率や、プライマリーバランス目標による歳出抑制の姿勢を指している場合が多い。この点を正確に踏まえた上で議論する必要がある。

しかしながら、いずれの尺度を用いたとしても、以下の事実は動かない。普通国債残高は2025年度末に1,129兆円に達する見込みであり、G7諸国のみならず主要先進国と比較して突出した水準にある。さらに、2023年度の税収は72.1兆円と4年連続で過去最高を更新したにもかかわらず、なお歳出が税収を大幅に上回り、財政赤字が継続している。名目値で見ても対GDP比で見ても、財政規律の必要性を否定する根拠にはならない。これは成長すれば借金は問題ないという単純な楽観論を許容しない厳しい現実を示している。

私たち地方自治体は、将来の人口減少と税収減を見据え、厳しい財政規律のもと行政運営を行っている。国だけが成長の皮算用で借金を正当化し、課題を先送りすることは許されないはずだ。先人たちが築き上げてきた規律ある保守の精神こそが、いま求められていると確信している。

官製プロジェクトの限界と市場経済の健全性について

現在、経済安全保障の観点から半導体などの特定産業に巨額の国費を投じる政策が推進されている。重要産業の基盤強化は安全保障上の要請として理解できる。しかしながら、安全保障の論理と経済効率の論理は、峻別して評価する必要がある。

経済効率の観点からは、公的資金の大量投入が自動的に成功をもたらすほど、ビジネスの世界は単純ではない。官主導のプロジェクトには常に硬直化のリスクが伴うことは、国内外の事例が示している。安全保障目的の投資であっても、民間の知恵と規律ある事業評価の仕組みを組み合わせることが、国費の効果的な活用につながる。

ここで問われるべきは、資源配分の優先順位である。国が巨額の資金を特定産業に集中させる一方で、地方が真に必要としている規制改革は遅々として進まない。移動困難地域におけるライドシェアの完全解禁や、農地集約化を阻む岩盤規制の打破など、地方の現場で本当に求められているのは、補助金頼みの体質ではなく、「自分たちの力で稼ぐ」ことを可能にする環境整備だ。民間の活力を軽視し、官による配分に頼る姿勢は、保守政党が守るべき市場経済の健全性を損なう危うさを孕んでいる。

消費税減税論の盲点

野党側は手厚い社会保障を主張しながら消費税減税を訴えるが、ここに重大な盲点がある。消費税は地方自治体にとっても貴重な一般財源(地方消費税・地方交付税)である。国の財布に穴を開けながら地方には手厚いサービスを求めるのは、代替財源の具体的な提示なき限り、無責任な空論と言わざるを得ない。

「取り過ぎた税金を返す」という文脈も散見されるが、税収が過去最高を更新する一方で、歳出がそれを上回る構造は恒常化している。コロナ禍の特殊要因を差し引いたとしても、社会保障費の自然増と防衛費の段階的増額という構造的な歳出圧力は変わらない。責任ある代替財源論を伴わない批判は、国民の不安を煽るだけだ。

通貨は勝手に湧いて出るものでなければ、政府がいたずらに価値を操作できるものでもない。グローバル社会において、通貨の価値は国家の信用そのものであり、規律なき財政拡大は、円の価値下落という形で国民にツケを回すことになりかねない。財政の持続可能性なき円安是正論は、本末転倒と言わざるを得ない。

嫌われる決断から逃げない。選択と集中の実行

新たな事業を展開することは重要だが、限られた財源のなかでは、何かをやめる決断も必要となる。我々、地方議員は日々、老朽化したインフラの統廃合など、嫌われる決断と向き合っている。国政においても同様に、真に必要なところへ集中させる「選択と集中」が重要だ。

ただし、選択と集中は切り捨てではない。規制改革によって民間が自由に稼げる環境を整えるだけでは、その恩恵が困窮層に自動的に届くわけではない。成長の果実を分配するメカニズムを同時に設計することが、政策としての完結に不可欠だ。具体的には、DXの強力な推進によって行政コストを削減し、その財源を真に困窮する市民へのセーフティネット強化に充てる仕組みが求められる。そしてそのセーフティネットは、行政だけが担うものではない。企業・市民団体・地域コミュニティが協同して支える仕組みを、削減と同時に設計することが、持続可能な社会保障の姿であると私は考える。

規制改革による民間活力の増強、DXの推進による効率化、そして効率化の果実を地域全体で支え合う新たなセーフティネットへの再配分。この三位一体の政策こそが、日本を再び強く、より明るくする道筋だと信じている。新たな産業発展の芽は民間のなかにある。障壁を取り除くことで伸び伸びと成長できる環境を作ると同時に、自立した個人と地域が対等に助け合う社会の仕組みを構築することが急務だ。

おわりに

党の青年局員として、また一地方議員として、僭越ながら厳しい意見を申し上げた。しかし、それは自民党がこれからも国民に信頼される責任政党であり続けてほしいという、愛党心と危機感ゆえである。

閉塞感の打破には激しい言葉が好まれる風潮があるが、感情に訴えるだけのポピュリズムとは一線を画す必要がある。厳しい決断から逃げないことこそが、責任政党の矜持であるはずだ。地方の現場から国へ、具体的な提言と行動を重ねていく。