未来への責任ある政治とは
その場しのぎでは国民を守れない
今般の衆院選において、多くの政党が公約として消費税減税を掲げている。ここ南アルプス市においても、長引く物価高が市民生活を直撃していることは、日々の対話の中で痛いほど肌で感じている。農家の肥料代の高騰、中小企業の資材コスト増、そして家計の逼迫。その苦しみを知るからこそ、政治が手を差し伸べるべきだという声には真摯に向き合わねばならない。しかし、自民党所属議員として、またかつて内閣官房長官秘書として国政の中枢で決断の重みを見てきた人間として、私はこの安易な減税やバラマキの潮流に警鐘を鳴らさざるを得ない。
増税にせよ減税にせよ、それは国家運営の手段であって目的ではない。物価高対策との論説が尽きないが、その場しのぎの対策は、果たして本当に国民の未来を守ることになるのだろうか。責任政党・自由民主党が、野党と同じ土俵に乗って聞こえの良いバラマキ合戦に興じてしまえば、この国の財政規律と未来は誰が守るのか。真に国民の福祉向上を目指す政治が、国家の骨格を揺るがす安易な迎合で実現されるとは到底思えない。
官製プロジェクトの限界と市場経済の健全性について
現在、党内では積極財政の声が強まり、財政健全化の指標を緩めようとする動きがある。経済成長すれば借金が増えても問題ないという論理だが、私たち地方自治体は、将来の人口減少と税収減を見据え、厳しい財政規律のもと行政運営を行っている。国だけが成長の皮算用で借金を正当化し、課題を先送りすることは許されないはずだ。
また、これまでの財政運営を緊縮財政と定義し、転換を図る声がある。しかし実際の数字を見ると、日本の一般会計当初予算は、バブル絶頂期の1990年度で約66兆円、それが2024年度には約112兆円へと、約1.7倍に膨れ上がっている。これを緊縮財政と呼ぶのは、事実を無視した暴論と言わざるを得ない。 閉塞感の打破に向けて、激しい表現が好まれる風潮ではあるが、私は、先人たちが築き上げてきた規律ある保守の精神こそがいま必要だと確信している。
あわせて、国家戦略として半導体などの特定産業に巨額投資を行うとしている。デジタル社会のインフラである半導体を確保するという安全保障の観点から、重要産業の基盤強化は極めて重要である。私自身、この方向性を否定するものではない。
他方で、純粋な経済政策として見た場合、政府が特定の技術や企業を勝者として選ぶ政策は、現代の複雑な市場経済において効果は限定的だ。このことは、国策として期待されながらも苦難を極めた近年のMRJやジャパンディスプレイなどの挫折から明らかである。民間の活力を軽視し、官による配分に頼る姿勢は、保守政党が守るべき市場経済の健全性を損なう危うさを孕んでいる。
安全保障という言葉が、採算を度外視した放漫財政の免罪符になってはならない。経済と安全保障、それぞれがシームレスになりつつある情勢であるからこそ、その目的とリスクを峻別し、出口戦略なき投資にならぬよう、厳しく注視しなければならない。
減税と高福祉は幻想。財政規律こそがインフレ対策
他方で、野党側は手厚い社会保障制度を主張するとともに、消費税は減税せよと説く。忘れてはならないのは、消費税は地方自治体にとっても貴重な一般財源(地方消費税・地方交付税)であるという事実だ。国の財布に穴を開けながら、地方には手厚いサービスをしろというのは、あまりに無責任な空論だ。
「行き過ぎた円安の是正」や「取り過ぎた税金を返す」といった文脈も散見されるが、税収増以上に歳出が膨らみ、財政赤字が続いている現実から目を背けている。責任をもった対案なき批判は、国民の不安を煽るだけであり、政権を担う資格があるとは言い難い。
通貨は勝手に湧いて出るものでなければ、政府がいたずらに価値を操作できるものでもない。魔法の杖など存在しないし、かつて夢想されたような埋蔵金などないのである。グローバル社会において、通貨の価値は国家の信用そのものであり、規律なき財政拡大は、円の価値暴落という形で国民にツケを回すことになりかねない。
嫌われる決断から逃げない。選択と集中の実行
新たな事業を展開することは重要だが、限られた財源のなかでは、何かをやめる決断も必要となる。我々、地方議員は日々、老朽化したインフラの統廃合など、嫌われる決断と向き合っている。国政においても同様に、真に必要なところへ集中させる選択と集中が必要だ。
新たな発展の芽は民間のなかにある。障壁を取り除くことで伸び伸びと成長できる環境を作ると同時に、真に困窮する市民へ支援を届ける新しいセーフティネットの構築が、日本を再び強く、より明るくする手段だと信じている。今般の自民党の公約は、日本を強く、豊かにするため、期待感のある様々な政策を掲げている。それらの実現に向けて、責任ある財源論も求められている。厳しい決断から逃げないことこそが、責任政党の矜持ではないだろうか。
党の青年局員として、また一地方議員として、僭越ながら厳しい意見を申し上げた。しかし、それは自民党がこれからも国民に信頼される責任政党であり続けてほしいという、愛党心と危機感ゆえである。ポピュリズムとは一線を画す、責任ある政治を訴え続けていく。

